【偉大な先輩】柿本量平を超える伝説の騎手・折笠豊和とは?

柿本量平

柿本量平騎手と言えば、何で有名かと言われると…正直残念ながら、「勝てない騎手」という称号でその名を知られているのではないでしょうか。

ファン目線からしても、「817戦6勝、勝率0.7%」という成績が芳しいものだとは口が裂けても言えません。これは厳しいですが事実です。

しかし、これ以前に「1638戦4勝、勝率0.2%」という、柿本の倍の数騎乗して、かつ勝利数は少ないという、あまりにも強烈な成績を残した騎手がいるのをご存じでしょうか。今回は、そんな偉大な騎手についてご紹介します。

折笠豊和騎手

その名は折笠豊和騎手。2001年、浦和競馬場の内田友一厩舎からデビューしました。元々厩務員出身で、騎手デビューは24歳とかなり遅め。それもあってか、なかなかデビュー直後は馬の数・質に恵まれず。騎乗する馬はほとんど2桁人気という状態でした。

その後、浦和の名物調教師・冨田藤男厩舎に移籍。冨田師はかつて南関東で161連敗を喫し、日本記録を樹立したハクホークインに代表されるように、「能力は足りないが丈夫な馬を多く走らせることで出走手当を稼ぐ」という手法で厩舎を経営していました。そのため出走回数が他の厩舎に比べて極めて多く、1973年~2011年の38年間で、通算成績が15937戦460勝(Wikipediaより)。1年あたりの平均出走回数が419回と、ほぼリーディング上位厩舎級の出走数を誇っていたのです。

そんなこともあり、デビュー3年目の2003年以降は出走回数が急増。騎乗馬の質は相変わらずでしたが、徐々に経験を積んでいくことになります。

念願の初勝利

そして迎えたデビュー5年目。2005年10月21日の浦和6Rで、その時は訪れます。

3番人気のリトルクラウドに騎乗すると、直線で最内から逃げ馬を差し切り勝利。311戦目、デビュー4年4ヶ月にして念願の初勝利を挙げました。ちなみに2走前にもこのリトルクラウドに騎乗して2着。この年は84戦して馬券圏内に3回入っていましたが、そのうちに2回が本馬ということになりました。

連敗日本記録~2勝目・3勝目・4勝目

しかし初勝利後は再び連敗街道へ。騎乗数は年間100回を超えておりしょっちゅうその名前は上がりますが、騎乗馬の質はそのまま。2005年11月~2013年5月の約7年半、実に810連敗という、騎手としての連敗日本記録(確定ではありませんが、ほぼ確実に)を樹立してしまいます。馬券圏内もほぼ年に1~2回という状況でした。

しかし2013年5月20日、その時は唐突に訪れます。川崎8R、いつものように12番人気のケイアイレックスに騎乗。それまでの戦法とは異なり、気合を付けての逃げの手に出ます。この日は雨で重馬場。脚を取られる後続馬を向こうに回してスイスイと駆けると、そのまま逃げ切り。単勝13,600円、3連単450,160円と大波乱を演出しました。

そして勢いに乗ったか(?)、同年8月9日浦和5Rでは2番人気のコスモキャロルに騎乗し接戦を勝利。初の年間2勝を達成しました。

さらに翌2014年には、昨年連敗を止めたケイアイレックスに再度騎乗しまたも逃げ切り勝ち(1月14日浦和8R)。この時も12頭中11番人気と全くの人気薄で、3連単は33万円台の波乱を呼びました。

そして引退へ

その後も年100回以上の騎乗をこなし、年1~2回のペースで馬券圏内に入るという流れを繰り返していましたが、2017年1月31日付けで現役引退。足掛け15年半に渡る騎手生活にピリオドを打ちました(引退理由は「燃え尽きたから」とのこと)。

決して結果には恵まれなかった騎手生活でしたが、人柄は非常によく、ファンサービスなどにもよく応じていたことが過去のネット上の投稿からも伺えます。そんなこともあり、成績以上に南関東競馬ファンに愛されていたことが分かります。

片や7年半未勝利、810連敗。片や10年未勝利、554連敗。しかしどちらも諦めることなく、次の勝利を目指して競馬に立ち向かいました。折笠騎手の魂は、どこかで柿本騎手に受け継がれていたのではないかと、勝手ながら思う筆者でした。

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